観光スポット

鬼のモニュメント

大江山の麓、酒呑童子の里にあるブロンズ仕上げの鬼像。

5mの台座を見上げると、高さ3mの酒呑童子を中心に茨城童子・星熊童子の三体が恐ろしい形相で周囲を威嚇しています。

酒呑童子が指差すのは、都の方向。

作者はウルトラマンやガラモン、バルタン星人などの怪獣のデザイン画を描いた成田亨さんです。

日本の鬼の交流博物館

鬼のことなら何でも分かる博物館です。

全国各地の鬼にまつわる資料や大江山の鬼退治伝説に関する資料、古代から現代までの鬼瓦などを展示、鬼をテーマにした絵画や写真も展示しています。

また、鬼の研究家や興味のある方々の交流の場として、世界鬼学会の事務局があります。

ホームページ:https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/onihaku/

大江山平成の大鬼

鬼瓦を造る職人を鬼師といいます。

日本各地の鬼師の方々が「世界一の鬼瓦を作ろう」を合言葉に力を結集し完成したのが、高さ5m、重さ約10tの「大江山平成の大鬼」。

鬼瓦を130に分割し、各地の鬼師が、その土地の土を使い、それぞれの焼成技法を用いて焼き上げ、大江山の麓で一つに積み上げました。

丹後和紙と和紙伝承館

明治時代末、当地には200戸ほどが手漉き和紙にたずさわり、和紙生産の一大拠点となっていましたが、現在では丹後和紙一軒のみ。

ここ丹後和紙では、漆を漉くことのできる極薄の和紙を手漉きで漉く技術を伝える所は全国でも数少なく、京都府無形文化財の指定を受けています。

隣接する和紙伝承館は、この伝統工芸を広く紹介するとともに、和紙の手漉きも体験できます。

ホームページ:https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/soshiki/65/2021.html

大江山鬼瓦公園

屋根の上にあってその家の守り神とされている鬼瓦。

大江駅前で電車を降りるとその招福除災の鬼瓦の出迎えを受けます。

この鬼瓦公園は、全国の鬼師(鬼瓦制作者)の方々の協力のより創り上げられた鬼一色の手造りの公園です。

中でも「屋根付き鬼の回廊」は、全国の鬼師の集大成ともいえる鬼瓦72個が守護神を務めています。

真下飛泉「戦友」歌碑

「ここはお国を何百里~」と愛唱された「戦友」の作者真下飛泉は大江町の出身です。

明治37年京都師範付属小学校の教師であった真下飛泉は日露戦争に翻弄される当時の庶民の姿を一遍の詞に表し、文化祭で発表しました。それがこの戦友の序論となる出征で、

この一連の歌は出征や戦友を含め全12編からなります。この石碑は飛泉の遺徳を忍ぶために有志によって建てたものです。大江駅の二階には真下飛泉の資料室があります。

大雲記念館

明治42年に建築された「旧平野家住宅」を再生したもので、伝統的な和風建築様式を基本にしながら、一部に西洋建築であるキングポストトラス(洋小屋)方式を採用した近代和風建築の先駆けとなる建物であり、京都府有形文化財に指定されています。

ホームページ:http://ooekankou.jp/ookumomain/facilities/kinenkan/

鬼嶽稲荷神社

大江山の八合目(約640m)に在ります。

以前はもっと山頂近くに、御嶽大明神遥拝所の跡と伝えるところが在ったと言われ、地元の人々は御嶽として厚く信仰してきました。

当地方の高山、そして霊峰、水源の山として「御嶽」と呼ばれていた大江山が「鬼嶽」となった時期は、大江山の鬼伝説が広く流布した江戸時代中期以降だったと考えられます。

弘化5年(1848)に京都の伏見稲荷からの勧請により鬼嶽稲荷となり産業の神として広く信仰されるようになりました。

美多良志荒神

新童子橋の旧宮津街道沿いの少し上にあります。麻呂子親王は大江山千丈ヶ嶽の三鬼退治に向かう途中、神の化身である老翁から頭に鏡をつけた2匹の白犬を授かりました。

姿を隠す妖術を持つ鬼たちに苦戦しましたが、白犬が鏡で照らすと鬼の姿が現れ鬼どもを退治できたと伝えられています。美多良志は「御照し」から来ているとも言われています。

天岩戸神社

日室ヶ嶽(岩戸山)の下を流れる五十鈴川渓谷に祀られています。

神々が座したと伝わる「御座石」や「神楽岩」など巨岩・奇岩が点在し、一帯は四季折々の自然の美しさもさることながら心洗われる「聖域」といった神秘的な雰囲気をかもしだしています。

岸壁にある本殿には鎖を伝って登ります。
その少し下流にある岩のくぼみ(甌穴)は、産釜・産ダライといわれ、常に清水が満ち四季を通じて水量が変わらず、神が禊をされたところと伝えられます。大本の出口ナオ、王仁三郎はこの産釜・産だらいの岩穴の霊水を御神水として汲み取られました。

日室ヶ嶽(岩戸山)遥拝所

日室ヶ嶽(岩戸山)は、古来より神体山として尊崇されてきました。

内宮の境内から天岩戸神社へ向かう参道の途中の日室ヶ嶽遥拝所は夏至の日に伊勢神宮から昇った太陽が日室ヶ嶽の山頂に沈む光景が見られる神秘的な場所で、遥拝所から日室ヶ嶽に拝礼すれば、必ず自分の望みが叶うという「一願成就」の慣習が語り継がれています。

日室ヶ嶽の頂上には磐座(神が鎮座するところ)と考えられる巨岩があり、また遙拝所から拝める山の西側は禁足の地で原生林となっており、京都府歴史的自然環境保全地域にも指定されています。

元伊勢内宮皇大神社

伊勢神宮の元宮だったといわれ、第10代崇神天皇の39年大和笠縫邑から天照大神の御神体を4年間お祀りした但波吉佐宮の旧跡といわれています。

シイ林を中心とした常緑広葉樹林の自然林の中に茅葺・神明造りの本殿が鎮座しています。本殿を中心に、樹齢2000年と伝えられる御神木「龍灯の杉」や八十余の小宮が前後左右に囲んでいます。本殿前の「黒木の鳥居」は、樹皮のついたままの原初的な様式です。
10世紀に編集された和名抄には当地域(旧河守上村)一帯は「神戸郷」とされています。神戸とは、古代、世襲的に特定の神社に所属し、神社への貢納と奉仕を任務にしていた家のことです。

http://motoise-naiku.com/

元伊勢内宮皇大神社参道と麻呂子杉

表参道は300m、220段に及ぶ自然石の石段が続いています。左右は深い神秘な森と天を摩する大木。

大江山の三つの鬼退治伝説の中の一つにある聖徳太子の弟の麻呂子親王が鬼退治の途中で戦勝祈願に立ち寄って植えたとされる麻呂子親王お手植えの杉です。

3本のお手植え杉のうち2本は、近年落雷や風害で倒れ切り株のみとなっています。

猿田彦神社

御祭神猿田彦大神は、天孫降臨のとき、天孫ニニギノミコトのご降臨に際し、一行を先導して日向に導かれた高鼻赤面の神としてよく知られています。

このみちひらきの故事にちなんで開運招福の神として、また街路を守り災害を防止する交通安全の神として崇敬され、地元では「立会さん」と呼んで崇めています。

元伊勢外宮豊受大神社

伊勢外宮の元となった神社です。祀られているのは「豊受大神」で、元々丹後地方へ天下った神様とされています。

雄略天皇の22年、天皇の夢枕に天照大神が現れて、「但波にいたころが懐かしい。豊受大神に会いたい。」と言われたので、現在地に移されたとされています。

9月第一日曜日の八朔祭礼では奴道中が繰り広げられ、大鳥毛が宙に舞います。

室尾谷山観音寺と鬼ヶ城

この寺が開かれたのは古く、和銅7年というから今から1400年ほどの昔、名僧行基が大和室尾寺の観音彫刻の余木を使い、本尊を設けたのが始まりと言われています。
かつては広大な寺領に11坊を連ねる名利で、本尊の11面観音菩薩像は秘仏として33年毎に開扉されます。また山門の仁王像も古く鎌倉末期の作と言われています。
この裏山に連なる鬼ケ城山は茨木童子の伝説を伝えていますが、今でも戦国時代のものと思われる山城の跡が残っています。この鬼ケ城山を中心として周辺には数々の古い鉱山跡があり、かつては銀・銅・鉄などを採掘していたことが分かっています。このお寺もその鉱山開発との関係をうかがわせる考え方も出てきそうです。